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■THE KING 罪の王
ただ、キリスト教の文化背景を持たない(信じるかどうかはともかく、キリスト教が根付いている文化の中で育った欧米人とは知識も意識も違うと思う。)、現代的無宗教な自分が、この映画を本当に受け止め、痛みを感じれるかどうかは疑問ですが。
欺瞞、偽善。
これを見て思ったのは、懺悔というシステムの欺瞞、あるいは偽善か。
懺悔って言うのは、基本的に許されることを前提に罪を告白するシステムではないか。
じゃないと、罪を犯したことを認め、罪を犯したんだから救われない、ってなったら誰も信じません。悪人だからこそ救われる、悪人正機?
しかし、それが本当の救い、あるいは償いなのか。それは罪を犯した者が、その罪の意識から逃避するため、心の平静を保つための一つのシステムなんじゃないかなと思う。
それは偽善や欺瞞ではなく、社会が回っていく中で必要なものなのかもしれません。
ヒロインは主人公と二人で誰も居ない野原、罪がうずめられている池の前で懺悔をする。主人公はやらされているだけだが、ヒロインはどうか。牧師である父に懺悔するのではなく、誰に懺悔するのでもなく、懺悔する。
そこに救いはないし、罪の意識が希釈されることはないと思う。許されないと分かっているから誰にも懺悔しない、いやできないのかな。
誰が言ってたか忘れましたが、懺悔するより自分の心の中で罪の意識を背負い続けるほうが苦しみ、償いになるのではないか、というようなことを言ってたような。
ラストの言葉
「懺悔して天国へ行こう」
この言葉がずっしり来ました。
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1981/09/15
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