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■100km後編
たぶん、ハンガーノックで、自分の顔色を確かめるために自分撮り。なぜか顔がしびれてて呼吸もおかしかった約90km地点。
というわけでスタートした御嶽。御嶽には上らずその周りをぐるっと100km、100マイルは基本同じコースで寄り道ループを使って60kmプラスって、同じ道走るのはおもろくないやろうなぁと思いながら。
スタートして10kmほどはロード。やたら体が軽く、ついついオーバーペースに。しかし、ゆっくり行こうが、最初飛ばそうが最後はばてるに決まっているのであまり気にせず、とりあえずいけるとこまで。何事も経験と。賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶといいますので。
10kmのロード区間で結構バラけて、登りに入っても渋滞はなし。コースは全編に渡って、なんとか車が入れるかという感じの林道をつないだ感じ。しかし、落ち葉が積もったような柔らかい区間はなく、ほとんどが砂利、小石で足への衝撃は結構きつい、なれない自分の足は悲鳴を上げてました。
第一小エイドも快調にクリア、第一エイド兼関門(30km過ぎ)も順調に。ここでは30位以内でした。最終順位122位なので、延べ100人近くに抜かれて様で。
ゆっくりゆっくりと言い聞かせててもついついペースを上げてしまう。
闇夜に、雨に、霧に。少し冷静さを欠いていたのでしょう。まぁテンション上げてないとこんなことできないということもありますし。3,4時くらいが雨のピークか、ファイントラックの雨具が大活躍。
そして、案の定、40km付近でがたっとペースが鈍る。感覚的には同じくらいのペースを刻んでるつもりがじりじりとペースが下がる。それでも50km地点では、まだ5時間経過しておらず、なんとか平均6分/kmを維持。
が、フルマラソン以上のレースは走ったことがなく、練習でも六甲の56kmが最長の自分、未知の領域に突入し、体の悲鳴が大きくなってきて、もうペースを保つとかじゃなく、なんとか歩かないという程度。心配していた爪の状態は、下りがきつくないこともあり特に問題ないものの、筋肉がもたない。
ホウホウの態で第二エイド(65km)、まさに這う這うという感じ。6分/kmなら6時半、なんとか7時くらいに到着、まずまずのペースではないかと。ここでスタート地で預けた荷物で補給。失敗は飲み物を入れてなかったこと、あと晴れ予報
であったこともあり、雨のことを全然頭に入れてなかった。晴れて暑かったらという準備はしていたのに、止まると寒い。
着替えは一応入れていたものの、ただのTシャツ、せっかくなのでチームジャージでゴールしたいと思いそのまま走り出す。
しかし、まぁここからは見事なくらいのばば抜かれで、とにかく下れない、颯爽と下る周りの選手にいちいちすげーと感心してました。もはや順位なんてどうでもいいやと。あと35km制限時間は大丈夫、頑張るのみ。
第3エイド(80km地点)、振舞われた素麺がうまい。あと20kmと声を掛けていただき、あと少しやん、と。しかし冷静に考えればハーフマラソンの距離ですやん。
周りの選手も登りは歩きを交えるように。自分も歩いたり走ったり。そしてついにヒザの痛みが出てくる。何度も屈伸、マッサージのために止まる。サポートのゲートルをはいていたふくらはぎはほとんど問題なし、素で臨んだ膝、太ももが痛い。サポート衣類の威力を実感、高いけど買おうかな、買うならどれがいいかなぁ、とか考えなら。
そんな余裕も、残り15km切って少し異変、腕がしびれてきた。たぶんザックを背負ってるからだろうと気にせず。
残り10km、腕の痺れが強くなってき、口の周りもしびれたような感覚。さらに広がって行き、顔全体、頭の下のほう、そして腹筋。痙攣までは行かないし、意識ははっきりしているつもり、力も入らないというわけではないつもり。
少し前にジェルを流し込んでいたので、カロリーが足りていないはずはないし、食べる気も起こらん、とそのまま進むも、歩き、そして止まっても呼吸は荒いまま。制限時間はあと8時間以上あるので、這ってでもゴールしてやると思いながら。
変なテンションなのか、しびれを少し楽しんでて、おぉなんかすごい感覚やと。これはいかんですね、異変には鯨飲ちがった原因をきちんと確認しないと大事故に繋がるかもしれない。
で止まって、いったい自分のこの痙攣というか痺れてる顔はどんなもんやと写真を撮ったのが最初の写真。10時46分。確か残り8kmくらいだったような、ということは8kmに1時間半かかってる。ラスト5kmの舗装区間は30分少しなので、歩いた3kmで1時間くらいか。
妻には12時くらいにゴールしたいとなんとなく伝えていて、それがなんとなく目標になってて、それが80km地点くらいまではいけるかなぁという感じから、だんだんと厳しくなってきて、85km地点では相当厳しく、90km地点ではもうほぼ不可能という感じ。それがすごく悔しくなってきて、痛いくらいでこんなにペースが落ちるとは情けないと。息子にもかっこいいお父さんの姿を見せようと思ったのに、なんか笑顔でゴールできる姿が想像できず、落ち込む。
体は動く、動くたびに痛いけど、どうにもならんわけではないので、とりあえずは進む。だめもとで、妻が仕入れてくれていたドライマンゴーを口に入れる。うまい、なんか顔の痺れが少し治まったような。さらに食べる、あれ、顔の痺れはほとんどなくなった。
もしかして、とザックの中からおにぎり。やはり少しおかしかったのか、手での細かい作業が遅いものの、ちゃんと海苔に包んでいただく。
このまま、おにぎりは、新城と同じように、スタートからゴールまで運んだだけになる運命か、愚者は経験に学ぶって、経験にも学べないのはなんというのか、なんて思っていたんですが。
完食後、なんと腕の痺れまで解消。これで快調に走れる、なんて訳もなく、ただ歩く。とにかく止まっても仕方ないので歩く。
6.5km最後の小エイドで水を頂きもはや12時ゴールは絶望的、5分/kmでぎりぎり間に合うくらい。一緒に歩き出した選手からも歩いている区間で遅れる。
ラスト5kmは舗装路、なんとか走りたいと少し走っては歩き、走っては歩きをくり返す。時計をみて、2分走ろう、1分頑張ろうと。
そして、ゴールが見えて最後は数百メートルか、何とか走る。せめて走ってゴールしている姿を息子に見せたい、と踏ん張るも、あれ?妻の姿だけ、思わず「律は?」「寝てる~」
ぎゃー、お父さん一人で盛り上がってたよ。そりゃ興味ないわなぁ。
なんとなく雰囲気で妻と手をつないでゴールしました。こういうのは気恥ずかしい。
それでも目標は達成できずで、一時はゴールしても笑えないと思っていたのですが、やっぱりゴールすれば自然と笑顔に。よかった、よかった。
そして、鏑木選手は100マイルで圧倒的な強さで優勝されたみたいで、2時間以上経過してもまだ2位の選手がゴールしてないとか。結局鏑木選手をお見かけすることはなかったですが。何人かの100マイルの選手には抜かれたかな。
帰りは妻にすべて運転していただき、家についてからも後片付けまで。本当にありがとうございます。家族の協力が、ってよくいいますが、本当にそのとおりですね。
そんな100kmでした。
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誕生日:
1981/09/15
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